PART1
第五章:礎
心をひとつに
大きなビルから小さな事務所へと引越ました。大きなビルではお洒落なオフィス家具を贅沢に設置してありました。 その家具や仕切りは、引越すときにはさすがに小さな事務所には入りきれませんでした。
しかし私は、今はまだ無理だけどきっといつか、この家具や仕切りが必要な時がくる、また事務所が再建できると言い聞かせました。そこで仕切りや家具を全部分解し、実家の使っていない部屋や貸倉庫に預けたりしながら、再建に向けて気持ちを維持していました。
即行動に移すというのが性分なので、なんでも自分が率先して動く私です。引越しも運送業者を一切使わずに、全部自分達で行いました。私は朝からジャージ姿で、家具を分解したり荷物を運んだり、社員も皆朝からジャージ姿で必死です。5階建てビルの中味を引越すのですから、予想以上の力仕事と量です。しかしこれぐらい自分達でやらなければ!と陣頭指揮をとって事故のないよう心掛けました。
私がモクモクと作業をするので、社員も誰も泣き言を言わず作業をしています。ビルをでて小さな事務所に行くというのに、引越しも3日目になると社員は皆、明るく、弁当時間はまるで遠足のような楽しい雰囲気です。社員にしてみればきっと、私が税理士本業に専念することに安心していたのでしょう。
社員の明るい表情を見ながら、「私について来たこの社員達を大事にしよう。税理士事務所で働くものとして、どこにも負けない待遇になるように頑張ろう」そう決意を新たにしました。私の判断で抱えた借金のために社員の待遇が悪くなることだけは、絶対にしない!この決意は今日まで変わっていません。
心を一つにした引越し作業も貴重な糧となって、新しい出発を迎えることができました。
恩返しは沖縄のためになることを形にしたかった
沢山の方のお陰で、本業はさほど混乱もなく再開できました。
身を助けた税理士という資格で、顧問先に感謝される仕事をもっと深めよう。感謝の気持ちと、新しい出発のために、相続に関する本を書くことにしました。知識を見直して更に研鑚することで、足元を見つめることが出来るだろうと思ったからです。
税理士になって20数年、経営コンサルティング業にも力を入れ、事業承継や相続問題は、私のもっとも興味があり得意とする分野でした。それまで実務の場面で相続に携わってきた中で、相続税法は全国同一であっても、沖縄の慣習や風土、戦争などで、相続事情は他府県には見られない事例や問題が山積していたのを日頃から感じていました。
今こそ顧問先や沖縄の人のために、私が出来ることをやっておこう。損得勘定もなく、仕事を終えた夜から本の執筆に励みました。出版社からは、「本を書きたいと言って、本当に書く人は1万人に一人ですよ。」と釘をさされましたが、目標が決まると俄然やる気が湧いてくる単純な私です。
執筆する前にかなりの専門書に目を通すことから始めました。それから沖縄の歴史を税務と相続の観点から紐解き資料を収集しました。資料収集は予想以上の苦労でした。戦争で肝心な物は焼失していることも多く、戦争の傷跡を別の意味で分ることが出来ました。そして中国の宗教の影響やトートーメー(位牌)に関する風習、戦後の土地問題など、興味深い事ばかりでした。
日本と沖縄の歴史を学ぶことで、時代に翻弄された故郷沖縄のために、税理士として勉強し、本業に生かすのはもはや使命ではないか。資料収集の段階で思いを強くしました。そしてこの思いに後押しされ、一気に3ヶ月程で原稿を書きあげました。
ちょっと自慢になりますが・・・出来上がった本は2002年「沖縄版相続税の実際」というタイトルで3000部を出版し、完売しました。
かなり反響が良く、当時ハリーポッターの本がベストセラーになっていましたが、県内の数箇所の書店ではハリーポッターの本よりも上位にランクインされていました。
売れ行きが気になる私は、名護や首里、小禄の本屋まで出掛けて、積まれた本の様子を見ていました。・・・気恥ずかしさの中に喜びも混じりいい経験になりました。
売れ行きが気になる私は、名護や首里、小禄の本屋まで出掛けて、積まれた本の様子を見ていました。・・・気恥ずかしさの中に喜びも混じりいい経験になりました。
相談できる身近な専門家になりたい
本を書いたことで、私はお客様のために何をすべきかがハッキリと自覚できました。目先の問題だけでなく、まだ表面化していない相続問題も、私が得た知識を伝えることで回避したり、解決の糸口が見つかるのです。その頃の空いた時間は、セミナーなどを通して活動することにしました。沖縄全島の公民館宛に手紙を書いて、出張してセミナーを開催しますと宣言しました。もちろん手弁当の覚悟です。
遠くは金武町、今帰仁村まで出掛けました。地域の老人の方を集め、相続税のしくみや財産に関する話をしました。地域では戦争で預かったままの財産や、承継する人のいない財産など、解決できない課題が残っており、問題が放置されていました。
相続以外の相談もありました。いずれも早くから私に相談してくれたらなぁと、思うことばかりです。一般的に税理士は、税金にかかる事だけを相談する人と、思う方が多いようですが、実は生活と密接に関わり相談できるのは税理士だと、私は思っています。
名称に税が入っているのがいけないのでしょうか?私の場合、なんでも相談士に変えたらよいのではないかと思っているくらいです。とにかく、身近な専門家がいないことを痛感しました。
かつて私は、専門家を置かず専門外の事業を一人で検討し、一人で決断実行してきました。結果的には焦りが間違った方向へと動きました。私は過去の教訓から、顧問先の方達がもっと身近に相談できる事務所にすべきだと思うようになりました。
元来、税理士事務所は敷居が高いところだと思われています。顧問先の方になぜもっと早く相談しなかったのですか?とお聞きすると、税理士に相談する内容かどうかわからなかったと答えていらっしゃいました。そうか、税理士事務所をわざわざ訪れて、相談することはやりにくい事なのだなと分りました。
私は初対面でお会いした方でも、何度もお会いした方にもフレンドリーに話し掛け、出来るだけ相手にリラックスしていただくことを心掛けています。打ち解けていただくことで相談事もスムーズになりますし、事実関係の聞取りもやりやすくなります。しかし、お会いする以前に税理士事務所の敷居が高く感じられるのでは意味がありません。
もっと私に出来ることは何だろう? もっと親しみやすい税理士事務所にしたい。
新たなチャレンジをする意欲が少しずつ芽生えてきました。